夏の終わりと秋の始まりまでの微妙な季節。
肌寒いから
最近めずらしく太公望のほうが寝起きが悪かった。
目覚め自体はいつもと変わらず良いのだが、寝台の中で丸まっていつまでたってもでようとしない。
それに比べて楊ぜんは、寝起きはとことん悪いのだが、起きてしまえば頭はしっかり冴えるというもの。
寝台でうだうだと小さく丸まっている人は取り敢えず好きにさせておき、一人さっさと着替えてしまっていた。
真っ白な肩布をいつもの定位置にかけ振り向くと、掛け布から頭だけ出して、太公望が小さく見上げていた。「うー・・・」
「どうされました師叔?」
小さく唸る声に微笑み、頭以外掛け布ですっぽりとくるまっている人のすぐ傍に腰掛ける。
ふわふわの髪を優しく梳いてやると太公望はふんわりと笑う。
それから掛け布の中から腕だけを出し、楊ぜんに差し出して起こして、と言わんばかりに上目遣いで見上げる。
勿論その意に反することなく、楊ぜんは可愛い恋人を抱き起こしてちゃっかり膝の上に乗せて抱き締めた。
太公望のほうも文句も言わず暖かい胸に顔をうずめている。
一度しっかり起きたというのに、居心地の良さからだろうか。
うとうとしだしてしまった太公望の顔を上から覗き込み、楊ぜんは久しぶりに幸せに浸っていた。
近頃までミンミンうるさかった蝉たちもようやく落ち着いたようで、夕暮れ時に鳴く蜩の音色をやっと楽しめるようになってきた。
夏が終わるか終わらないかという今日この頃。
だんだんと秋の色が近づいて来ているが、まだまだ気温のほうはそれなりに高かった。
けれど朝晩は別で、昼間に比べてかなり冷え込んでいる。
それは涼しいというか、むしろ。
「楊ぜん、寒い・・・・」
薄い夜着を冷たい空気が通り抜け、ブルッと震えて楊ぜんに擦り寄る。
小さな手で肩布をきゅっと握り締めて、太公望は目の前の暖かさにこの上なく甘えていた。
楊ぜんはと言えばそんな姿をとろけるような微笑みで見守って、暖かさを逃がさぬよう愛しそうに抱き締めてやる。
そう、この感触すら久しぶりなのだ。
今まで暑いからヤメロ、と言われ、楊ぜんは可愛い恋人への接触を禁止されていた。
夏中拒まれ逃げられて、今日だってきっと昼になれば『暑いから触るな』くらいは言われるだろう。
それが今は夏前の懐かしい感触が腕の中にある。
楊ぜんは、盛りの夏を健気に耐えきった自分を褒め、訪れる秋に感謝した。
最近太公望の寝起きが悪いのも、秋の訪れによる寒さのせいだろう。
「師叔、そろそろ着替えないと仕事に遅れてしまいますよ?」
「むー・・・・だって寒いのだ・・・」
「少し動けばすぐ温かくなりますよ。さ、師叔・・・」
「離れたくない」
更に更に楊ぜんに抱き付く太公望。
もしかして寝惚けてるんじゃないかと思うほどの甘えぶりに、流石の楊ぜんも顔を赤くする。
今すぐにでも押し倒したい衝動に駆られるが、そこはぐっと我慢して理性をつなぎ止める。
にも関わらず、相も変わらず太公望は可愛らしく甘えてくるものだから堪ったものではない。
楊ぜんの理性が切れるか切れないかぐらいのタイミングで、ようやく太公望が身体を離した。
「んー・・・しゃぁないのう、着替えるとするか。む?楊ぜんどうした?」
「・・・・いいえ、別に・・」
「お、そうだ楊ぜん、わしの紺のシャツ出してくれぬか?この服一枚では少し寒くなってきたし・・」
袖無しの橙の道服を手にとり、楊ぜんに、の?と催促する。
いつもなら太公望のお願いとあらばなんでも聞いてやる楊ぜんだったが、この時ばかりは迅速に動こうとしなかった。
どこか考え事でもしているような表情を、不思議そうに太公望が覗き込む。
「楊ぜん?」
「ねぇ師叔、まだ袖無しの服のほうがいいんじゃないですか?」
「わしに風邪をひかす気かお主・・・」
「いくら今寒いからといって、昼間はまだ30度超えてますよ。昨日だって暑い暑いと言ってろくに仕事も進まなかったし」
「・・・う゛」
「だからまだ長袖には早いですよ」
「お主はもう長袖の服ではないか」
「僕はもともと暑さに強いですから。でも師叔は耐えられないでしょう?」
言葉だけなら、仕事が滞るから余計暑くなるような長袖なんか着るな、と聞こえるが。
ホントの理由は私情はいりまくりの、他人が聞けばくだらないことだった。
(師叔のナマ腕が見られなくなるなんて、僕の楽しみが減ってしまうじゃないですか!)
太公望が聞けば確実に鉄拳が飛んでくるに違いない。
けれど楊ぜんにとってみれば重要で、普段から厚着の恋人の夏のたった1、2ヶ月しか見られない貴重な姿をあともう少しだけ見ていたい、という気持ちも解るような解らないような。
「ね?」
「む〜・・確かに昼中はまだ暑いからのう・・・」
結局太公望は橙の道服だけ着ることになった。
袖を通した後の、むき出しの肌に冷たい空気が触れて、やっぱり少し震えてしまう。
内心ガッツポーズの楊ぜんに気付きもせず、太公望はまたきゅっと温かい胸に擦り寄った。
そしてまたまた楊ぜんは心の中でガッツポーズを決めたのだった。
「あーつーいー」
「五月蠅いですよ太公望」
執務室のボス(笑)周公旦にギロッと睨まれ、太公望はびくっと慌てて仕事に戻る。
しかしまたすぐに暑さにぐったりして机に突っ伏してしまう。
楊ぜんの言うとおり、昼は朝の寒さが嘘のように暑かった。
それはもう執務が滞るほど。
楊ぜんと言えば、朝の態度が嘘のような恋人のつれなさに悲しがってみたり。
少し触れただけでも暑い!と怒られるのだ。
暑さで上気した肌は薄桃色に染まっていて、こんなにも誘っているのに手が出せない。
夏中もずっと誘われていたそのほっそりとした腕。
思わず見とれていれば、視線がいやらしい!とまた怒られた。事実だけど。
その上夜は、昼間太公望がさぼった分の仕事を手伝わされていた。
しかし文句一つ言わずそれに付き合っているのは、惚れた弱みとナマ腕の為である。
夜といってもまだまだ暑い。
それでも風通しの良い執務室は、だんだんと涼しくなっていった。
「ふー・・やっと涼しくなってきたのう」
「そろそろ休憩にしますか?一段落ついたことですし」
「うむ!のぅ楊ぜん・・・冷たい桃が食べたいのう・・・」
「はいはい」
今度は昼間の態度が嘘のように、甘えた声でねだってくる太公望に苦笑しながらお望みの桃を取りに行く。
ついでにお茶も煎れ冷えた桃を添えて。
太公望の誘いで廊下に出て、夜風を楽しみながら星を見る。
室内と違って少し低めの気温も心地よかった。
取り留めのない話を楽しみ、手すりに腰を掛けようとした太公望がふいに小さくくしゃみをする。
「やはり夜風は少々冷えますね」
「うむ。昼間の暑さは何だったのかのぅ・・・・楊ぜん、何か羽織るモノないか?」
「羽織るモノですか?」
うむ、と頷いて夜の冷えた空気にさらされた肌を、肩を抱いて覆う仕草が幼くて可愛らしい。
楊ぜんは静かに忍び寄り、唐突にがばっと太公望を背後から抱き締めた。
「・・・・・わしは羽織るモノと言ったハズだが?」
「ええ」
「お主は羽織るモノか?」
「僕は師叔のモノですよ」
何だか呆れた目で見られるが、そこで挫けないのが天才である。
抱き締めても昼間ほど邪険に扱われない、ということは少なくとも嫌ではない証拠。
小さな身体を寒さから守るためぎゅっと抱き締めれば、満更でもないのか抵抗もなくむしろぽすっと楊ぜんの胸に凭れ掛かってくる。
しばらく楊ぜんの髪を絡めて遊んでいた太公望だったが、またも一つ小さくくしゃみ。
「むぅ・・・やっぱり明日からは長袖にしようかのう」
「え!どうしてですか?昼間はまだ暑いですよ」
「いや、あの暑さも今日までという噂じゃ。だから・・・」
「ダメですっ。僕はまだ師叔のナマ腕を見ていた・・・・あ」
「ほほーう。お主そんなこと考えておったのか」
「え・・いやぁ・・・・その、えっと・・・」
背後から抱き締めている状態なので、楊ぜんから太公望の表情は伺えない。
でも確実に微笑んではいないだろう。
怒りのあまりのひきつった微笑みなら有り得るだとうけど。
けれど予想に反して、太公望からの鉄拳は飛んでこなかった。
あれ?と思っているうちに太公望が身体を反転させる。
「アホだのぅお主は」
鉄拳どころか、そのままぎゅっと抱き付かれ、意外な反応に楊ぜんは戸惑うばかり。
お叱りを受けないことも意外だったが、こんな誰が来るかもわからない廊下で自分から抱き付いてきてくれた照れ屋なはずの恋人も意外だった。
嬉しくて楊ぜんは力一杯その身体を胸の中に閉じ込めてしまう。
そのお陰でこれまた意外な一言はくぐもったものになってしまった。
「腕なんか見たいと言えば、お主にならいくらでも見せてやるのに」
「え?」
「聞こえなかったならいい。もう言わぬ!」
耳まで赤く染めて、顔をぎゅっとうずめてしまった太公望を楊ぜんはいきなりひらっと横抱きにした。
予告なしの浮遊感に太公望は思わず楊ぜんの首に縋り付いてしまう。
何をするのだ、ときっと睨むが、楊ぜんのこぼれんばかりの笑顔に毒気を抜かれてしまった。
「楊・・・」
「では師叔、これから見せて頂きますね。腕も、まぁそれ以外も丁寧にじっくり。僕にならいくらでも見せてくれるのでしょう?」
「・・・・・・・って!お、お主さっきの聞こえて・・・・っ!?」
「聞こえなかったなんて一言もいってないですよ?」
暴れ出しそうな雰囲気の恋人に、すかさずちゅっと口づけを贈り大人しくさせる。
こうされると不思議と力が抜けてしまう自分を恨めしく思うが、それでも気分は悪くない。
スタスタと多分自室に向かっている楊ぜんにきゅっと抱き付いてみる。
「師叔?寒いのですか?」
「そうだ。わしは寒いのだ。だから、離すでないぞ」
「それは勿論。一晩中ずっと」
「朝もだぞ。夜も朝もずっとだ・・・・」
「はい、師叔」
そしてまた明日もその次の日も。
肌寒い朝晩は、二人にとって温かな幸せ。
end.
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