ガラスの厚さ分の距離 罪人の島。 周りを海に囲まれた離島はそう呼ばれた。 この島には死刑を言い渡された者達が収められる監獄であり最後の場所がある。 そんなところを管理する人間は少ないとはいえ確かに存在するのだ。 彼らは罪人に接触する唯一の人間であり、更に刑を執行するのもまた彼らなのだ。 彼らの苦悩は絶えない。 罪人が収容されている監獄の廊下を、かつかつと足音をたてながら歩いているのはこ こを管理する職員の一人だ。 彼は死刑囚に気さくに声をかけた。他の同僚に深入りするな、と警告を受けても彼は それを止めなかった。深入りした分傷つくのは自分なのだから。だが彼は死に怯える 彼らを見捨てることが出来なかったのだ。 大半は彼に対して微笑を見せてくれるのだが、ただ一人だけ彼に対して敵意を出す囚 人がいるのだ。 それはこれから訪ねる一人の男。 ある個室の前でぴたりと歩みを止めた彼は目の前の扉にノックをした後、鍵を開けて 中に入った。 「楊ゼン」 扉を開けて中に入るとそこは透明なガラスで部屋を仕切っており、面会室のように なっていた。入って右手の壁のほうにはガラスで仕切られた空間を唯一繋ぐ鍵を閉め られた扉がある。そのたいして広くないスペースに職員は折りたたみ式の椅子を出し て、今しがた呼んだガラスの向こうにいるこの部屋の主を前に座った。 ガラスの向こうには囚人の生活スペースがある。監獄の片隅にに粗末なベッドがある 位で目立ったものは他にない。ただこの部屋の持ち主はこの部屋にそぐわないほど綺 麗な容姿をしていた。 着ているものはやはり囚人らしくあまり褒められたものを着ていないが、腰まで流れ る青い髪と紫の瞳がこの部屋をまた違う具合に見せてくれる。まるでどこかの一枚絵 だ、と正直に職員は思った。 「毎度毎度飽きませんね、太公望サン」 楊ゼンと呼ばれた囚人は、ベッドの上に腰を下ろしていて些か呆れたように、いや皮 肉をガラスの向こうにいる彼に言った。 職員・・・太公望はそんな様子に慣れているのか楊ゼンの皮肉に害した風もなく、 笑った。 「相変わらず口が達者だのう、お主は」 楊ゼンはそんな反応を分かっていたのか先ほどのように口を開く。 「貴方にはかないませんよ、いっそのこと詐欺師にでもなったらどうですか?ここの 囚人は貴方に甘いですからすぐ騙されてくれますよ」 言外に偽善者、と言われたみたいだ、が慣れているからやはり気にしない。 「お主はわしに甘くないぞ?」 その言葉に楊ゼンは馬鹿にしたように笑った。 「当たり前ですよ、貴方に甘くする必要がどこにあるんです?」 太公望も軽く笑う。 「お主は本当に手厳しい。そこまでわしが嫌いか?」 腕を組んでにこにことしてしまうのを太公望は止められなかった。 「そうですね、どちらかというと嫌いの部類ですね。貴方みたいな博愛主義者は」 見下した楊ゼンの視線が太公望を見据える。だがやはり太公望は気にしない。 「博愛主義、か。お主から見たらそうなるのだろうな」 誰から見てもそうだと思いますよ、と言われてまた太公望は笑った。 居心地がいい、といったら楊ゼンはまた皮肉めいた笑みを浮かべるだろう。 だが太公望にとっては楊ゼンと話している間は他の人間と話しているよりよっぽど楽 で楽しかった。彼とは外の世界で会いたかったと思うほどに。 それから自分は変わってしまったのだ。皮肉な笑み以外の、本心からの笑みをどうし ても見たいと思うようになった。あの綺麗な髪に一度でいいから触れたいとも思いだ した。 人形のような彼はどんな人間なのだろうかと思った。 「最近ある死刑囚の所に通ってるんだって?」 看守室は常に二人以上がいることを義務付けられている。罪人逃亡防止などを始めと する管理システムを見なければならないからだ。 そんな精密機器をいじりながら同僚の太乙は言った。 太乙の後方にある余り座りごこちの良いとはいえない椅子に腰掛け、問われたのは太 公望。 「そうだが・・・それが何か?」 何かあるからわざわざ話しているのをわかっているのだが一応太公望は言ってみる。 「前にも言ったはずだよ、深入りは禁物。どうせ近いうちに死んじゃうんだから下手 に親しくしたら傷つくのは自分なんだよ?」 「・・・分かってるよ」 数瞬の遅れの後、太公望は呟いた。 それを聞いて太乙は手を止め、ため息をついた。 「まあ、彼は確かに綺麗な顔してるけどね。君も男なんだからしっかりしなよ。綺麗 な顔見て浮かれるほど君は幼くないだろう?」 そうだな、と呟いたところで他の同僚が帰ってきて話は打ち切られた。 今日もガラスを挟んで会話する。 皮肉めいた彼の笑みを見てどうしても諦めが付かなかった。本当の笑みが見たい、 と。 楊ゼンには偽善者と笑われるだろう。だが太公望は死刑囚には残った余生を出来るだ け楽しんで生きてほしいと思っているのだ。 本当の微笑を表に出さない楊ゼンは今をどう思っているのだろうか。 「本当に・・・貴方のその態度には反吐がでますね」 いきなり放たれた言葉を一瞬太公望は理解出来なかった。 そんな太公望を無視して楊ゼンはガラスの向こうの太公望に近づいた。 「楽しいですか?死を宣告された哀れな死刑囚に優しくするのは。どこかの高尚な神 父になったかのような錯覚を覚えて心地よいですか?」 流石にこの言葉には太公望も我慢出来なかった。 「違うっ・・・!わしはそんな事は思っておらん。」 楊ゼンがガラスに手を当てて、座っている太公望を見下ろす。 「でなきゃなんなんですか、毎日毎日僕に会いに来ては何気ない話をする。何が楽し いんですか?」 吐き捨てるような楊ゼンの声は今までに聞いたことのない程低い声だった。しかしこ こで押されては楊ゼンの言ったことを肯定することになる。それだけは避けたかっ た。 「わしはお主と話すことが楽しいのだ。でなきゃこんなに足繁く通うはずがなかろう が」 きっ、と視線を返してみれば楊ゼンはまた皮肉に笑う。自分が見たいのはこんな顔 じゃないのに。 「口ではなんとでも言えます」 ガラスを挟んだ、けれど息を詰めるほど近い距離はそのまま二人の距離をあらわして いるかのようだ。 「なら・・・、どうすればいい?」 小さく言った言葉に楊ゼンは口の端を少し上げた。 「僕を慰めて下さいよ。貴方自身で」 息を呑んだ。そんな事を言われるとは思わなかったのだから。 意味が分からないほど太公望は幼くなかった。 楊ゼンはまるでほら、出来ないでしょうと言うような表情をしている。 その顔を見て太公望はゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま右手にある扉に向 かって。 ズボンの後ろポケットに入れていた二人の距離をなくすための扉の鍵をさぐりなが ら。 がちゃり、と扉が開いた音がした。 初めて足を踏み込むガラスの向こうの楊ゼンのテリトリー。 「ようこそ、太公望」 みずぼらしいなかにどこか貴公子然としている楊ゼンはとても死刑囚には見えなかっ た。 太公望は扉を後ろ手に閉めて目の前にいる楊ゼンに言った。 「逃げるなよ」 「逃げませんよ」 目の前にこんなおいしそうなエサがあるのにね。 楊ゼンは口には出さなかったが彼の射抜くような妖しい視線で感じたのだろう、太公 望はびくっと身体を震わせた。 そんな太公望にくすりと笑って、楊ゼンは彼を逞しい両腕で抱き上げてベッドに運ん だ。太公望は粗末なベッドの固い感触を背中に感じて、恐怖のせいか小さく震えてい る。 そんな太公望に覆い被さり彼の目を見て言った。 「もしかして、初めて・・・ですか?」 言葉とともに太公望は顔を真っ赤にして俯き、自分の身体を抱きしめながら言った。 「・・・悪いか」 いいえ、と答えて楊ゼンは彼に口付けた。 「やだ、もう・・・許してぇ」 繋がったまま、楊ゼンの膝の上に乗せられている太公望は弱弱しく訴えた。 「まだ・・・まだだめですよ、太公望。だって僕は・・・」 まだ乾いたままだから。 太公望が言葉を理解する前に楊ゼンは彼の思考を奪い取った。 ベッドが悲鳴をあげても気にせず太公望を抱いた。 満たされない自分を太公望という存在でずぶ濡れにするように。 「僕は両親を殺した罪でここにいるんです」 裸のままシーツでくるんだ太公望を抱きしめて、楊ゼンは言葉すくなに語りだした。 「彼らはアメリカ人と日本人の国際結婚の末、僕を生みました。遺伝の性質からいっ て僕は必然的に黒い髪と瞳を持つはずでした」 「しかしこの通り僕は青い髪と紫の瞳というありえない色を持って生まれました」 「彼らはキリスト教を信仰していたため僕を悪魔の子だと言い出したんです」 「それでも僕は彼らに愛されようと頑張りました。何をしても優秀で、何をしても一 番であるように」 「しかし彼らは僕の能力さえも悪魔の印だと蔑んで僕を虐待しだしました。悪魔よ去 れと言ってね」 「僕はそんな親に負けないように自我を必死に保ちました。だけど結局負けてしまっ た。彼らを殺めてしまったのですから」 「そんな時思いました。ああ、やっぱり僕は悪魔の子なんだなと」 「だから貴方が憎かった。貴方は誰にでも優しくてキリスト教徒の鏡みたいでしたか ら」 「貴方がうらやましかったんですよ、憎いと思ったのと同じくらい好きになったんで すから」 寂しい青い彼はやはり寂しそうに笑った。 自分が見たいのはこんな顔じゃないのに。どうして自分は彼を笑わせてあげられない んだろう。 「でも・・・」 太公望が口を開く。 「でも、わしはそんなお主が好きだぞ。憎たらしいところも寂しがりやなところも強 引なところも」 楊ゼンは驚いた顔をして、それから。 笑った。 寂しい人形みたいな彼をいつのまにか好きになっていた。 深入りは禁物。 もう遅い。自分は寂しがり屋で愛されなかった美しい彼を愛してしまったのだから。 きっと彼も処刑されてしまうのだろう。 その時も自分たちを分けるのは分厚いガラスの厚さだけの距離。 いつも二人を分けるのは冷たくて薄くて、でも自分達を分けるには十分の厚さを持っ た見えない境界線。 今だけは、ガラスなんか無視してお互いの吐息と熱を感じていたい。 終 |
香月紫蘭様から頂きました!
王子は寂しがりや・・・(ラブ)
なんて切ない終わりなのでしょう。
続きを色々妄想してしまいます。
師叔に冷たくあたった理由も切なくて><。
深入りは禁物だけれど二人が恋するのは運命だから仕方ないのです!(?)
そう考えると死刑囚×看守の設定が更に切ないですね。
このあとやはり王子は処刑されてしまうのでしょうか・・・
脱獄とかはしない人だと思いますけど
師叔をかっさらって脱獄、というのもいいかなぁなんてv(バカ)
素敵な小説を有り難う御座いました!