天におわすとされるこの世の絶対者よ。
お願いです。彼と私を引き離さないでください。
日を追うごとに彼と私は引き裂かれていく。
ある時はガラスに、ある時は周りの人々に。
そしてある時は死という永遠の別離に阻まれてしまう。貴方の元へと逝ってしまう。


ああ、絶対者よ。貴方にただ一つだけの願い事を。



他に何も望みはしない。
彼だけを下さい。貴方の元へ逝かせないで下さい。
私と彼の間にこれ以上ガラスを挟み込まないで。









私はこんなにも彼を望んでいる。









ガラスの温度分の唇 【中編 】






普賢が去ってしばらくのまま、太公望は蹲ったままだった。それほどに普賢は太公望を止める気なのだ。
ようやくダメージから回復しようとした頃、太乙は帰ってきた。
「どうしたの!?太公望。そんな所に蹲ったりして・・・」
太乙の助けも借り、座っていた椅子へと移動する。
ふう、と息をついたところで太乙に事情を説明し始めた。








「へえ、あの子がねえ。でもね、普賢の言うことは私は賛成だ。君は楊ゼンと離れるべきだ」
太公望の向かいに座り、ただじっと話を聞いていた太乙は聞き終わると静かにそういった。
「わかってる。わかってるんだ。そんなこと・・・」
太乙の視線に耐えられないと言った風に太公望は俯き、自分自身の膝に腕をついて頭を抱える。
「お主達の言うことは正しい。わしは看守だ。死刑囚を監視する義務がある。ただそれだけだ。彼らに深入りしても傷つくのは自分だと分かってる」
搾り出すような苦しげな声が二人しかいない室内に静かに響いている。
だが、と太公望は言葉を吐き出す。
「だがわしは楊ゼンに深入りしてしまったのだ。どうしようもない位に・・・。あの寂しがりやで、皮肉な笑いしか知らなくて自分を守ることだけで必死なあいつをどうしても愛さずにはいられないのだ」
太乙は眉を苦しげに寄せて、俯いたままの太公望に何も言わなかった。いや、正確には言えなかった。
知ってしまったのだ。太公望がどれだけ楊ゼンに対して情を抱いてしまっているのかが。
今まで何に対しても執着を見せなかった彼が初めて何かに執着した。嬉しいと感じると共に太乙は相手が悪かったな、と思った。










「だから楊ゼンをここから出すんだ」









無理に決まっている。太乙はそう思った。
この監獄は四方を海に囲まれた離島であって逃げる場所などない。島から出るためには登録された小型船に乗るのだがそれに看守以外が乗ろうものなら監視カメラがそれを捕らえ、即監獄へ戻ることになる。大体死刑囚の部屋以外にくまなく付けられている防犯カメラを始めとした死刑囚脱獄防止システムの目を免れることは出来ない。
まず死刑囚が建物から出ること自体不可能なのにその上島から無事脱出することなど無理な話なのだ。




そんな太乙の考えを読んだかのように太公望は頭を上げて悲しげに笑った。
「脱獄する気など更々ないわ。無理なことがわかっておるのだからな」
太乙はいっそ攻撃的とも言える目で太公望を見る。
「じゃあ、どうやって」
太公望は先程の儚げな笑みの陰も見せず、急に不適な暗い笑みを象る。








「国際個人登録管理システムにハックして楊ゼンの個人データを公式に消去する」







国際個人登録管理システムとは国境も関係なくこの世界に生きている全ての人民に対して生まれた時から登録することを義務付けられたシステムである。これは捨て子にも付けられるので存在している人間であることをごまかすことは出来ない。政府はこのシステムを使い、市民を管理しているのだ。
即ち、このシステムから個人データを消去するということはこの世界に存在しなかった、つまり生まれなかった人間ということになる。
言うなれば生まれなかった人間に罪もないし課せられる刑もないということだ。
しかしこれには多大なリスクがある。



「君も知っているはずだよ。国際個人登録管理システムに侵入すること自体困難を極め、もし進入が成功したとしてもそれがばれただけで殺人未遂で逮捕されてしまう。そのうえ上手くやらないと消したデータはシステムに付けられたサブシステムがすぐに復元してしまう」
不可能なのは脱獄よりもデータを消すことだ。






「分かってる」






だがこれをやらないと楊ゼンが死ぬんだ。
楊ゼンを黙って死なせる位なら犯罪者になる危険さえ顧みない。いっそ彼と同じ死刑囚にでもなってやろうか。
太公望はおもむろに自分の机の引き出しからノートパソコンを取り出し、起動させた。
「やる気なんだ」
太乙が言った。
「当たり前。時間がない。これから楊ゼンには死刑執行に向けていろいろしなければいけないことが増えてくる。そうなる前にやらなければ」
太公望は静かに言った。





「これからすることにお主は関係ない。お主にはなにも責任はないよ」




真剣な太公望の表情を見て太乙は一つため息を付いた。
「毒を食らわば皿までってね」
なんだ、と聞き返せば太乙はすっ、と自分のデスクからCDディスクを取り出した。
「どうせなら慎重にやろう。このディスクは私がプログラムしたものだ。ハック用に作ったのものだから少しはばれにくいかもしれない」
太公望は太乙の言葉に驚きを隠せない。そんな太公望を見て太乙は笑う。
「なにしてるんだい、早くしなよ」
太公望は笑った。


















囚人室に続く廊下を普賢が歩いている。
目指すはただ一人の部屋。
扉に向かって鍵を差し込む。鍵が外される。
キイ、と扉の開く音がした。




「死刑囚ナンバー0624楊ゼン・・・だね」
ガラスの向こうには囚人と呼ぶには相応しくない見目をした男がいた。
「そうですけど、何か?普賢さん」
楊ゼンは部屋の中ほどから普賢の近くまで歩み寄ってきた。
普賢は立ったまま楊ゼンを睨み付けている。
「君だよね、望ちゃん、太公望を誑かした色男は」
楊ゼンは話の内容がほぼ見えたのか、それに臆した風も無く口を開いた。
「失礼ですね、誑かしただなんて。僕は真剣ですよ。あの人に対してはね」
楊ゼンの方が身長が高いので自然と普賢を見下ろす形になる。
「たとえ誑かしていようと無かろうと望ちゃんを苦しめてるのは君じゃないか」
間違ってはいない、と楊ゼンは思いつつ普賢の言葉を待った。
「君は死刑囚なんだよ、もうすぐ死ぬ人間だ。それなのに望ちゃんに執着させるなんてひどい事この上ないじゃないか」
普賢が更に睨み付ける。


「貴方の言うことはごもっともです。確かに僕は死刑囚でそう遠くない先に死んでしまうのは明らか。これから生きていくあの人にはひどいこと
をしているのかもしれない」





楊ゼンは普賢の瞳を見ながらゆっくりと言葉を綴っていく。





「だけど僕達はお互いに惹かれあってしまった。どうしようもないくらい。今更何を言ってもその事実は変えられない。誰になんと言われようと。僕は僕が生きている限りあの人を愛し抜く」







まっすぐに普賢を射抜いた紫色の瞳には迷いはなかった。




「でも許さない。君は望ちゃんを守ることをしていない。あの子の心を守れないならさっさといなくなればいいんだ」






毒を吐く普賢はもう用は済んだとばかりに扉に向かった。
そして扉を開け、楊ゼンから姿が見えなくなる瞬間、口を開いた。


「君の死刑執行日。今日から一週間後だよ」




楊ゼンはその言葉に別段心を乱すこともなく扉が閉まるのを見届けた。





普賢がいなくなって楊ゼンはため息を付いた。
確かに自分が死んだ後のことはあまり考えていない。
太公望を守ることを放棄したと言ってもいいだろう。
守りたいのに守れない。
ならせめて守れる間だけでも守ってやりたいと思うのは彼にとって良くないことなんだろうか。






自分が死を怖がるのは痛いとか、遊びたいとかそんなんじゃない。
ただあの人の傍にいられなくなるのが恐ろしいんだ。





あと一週間。あの人に自分は何をしてあげられるのだろう。












深夜、夜勤となっている太公望と太乙は昼頃からずっとハッキングを試みていた。
「侵入成功。これからが問題だよ。見つからないように楊ゼンの個人データを探さなきゃ」
ノートパソコンに向かっている太公望の隣に、彼の隣にパイプ椅子を持ってきた太乙が座っている。
カタカタとキーボードを叩く音が部屋に響いた。
「楊ゼンは確か日本人男性とアメリカ人女性のハーフだから日本の混血児として入ってるはずだ」
時折ピ、と電子音がなる。
太公望は逸る心を抑えながらゆっくりとデータを探っていく。
思っていたよりは混血児の数は少なく早く見つけられそうだ。侵入している時間が長ければ長いほど見つかる可能性は高くなる。
ゆっくりとカーソルを動かして彼の名前を探した。
「トラップ・・・、気をつけて」
個人データがある場所に正規ルート以外から入っているのだからかなり危険である。太乙はあらゆる可能性を想定して太公望にアドバイス
を送る。
こくり、と頷いて太公望は目を動かした。




「国際個人登録番号006241018−YT楊ゼン・・・。これだ」
膨大なリストの中でようやく目的のデータを探し出した。もう探り出して半日は経過している。
息をついた二人は心臓が高鳴るのを感じた。うるさいくらいのその音に二人は焦る。


「日本人男性とアメリカ人女性の混血児。虐待により一時期児童施設に収容。その時点で精神病の一部が発覚。精神科にかかる。17歳で精神科医より完治宣言。大学教育課程終了後自立。24歳で両親を殺害、遺棄の容疑で逮捕。25歳時に行われた司法裁判により死刑宣告。現在日本独立死刑囚管理施設に収容中」


基本的な身体特徴等を除いたデータは自分達に送られた資料と相違なかった。
ただし一部のデータを除いてだが。










−遺伝子組換え児の可能性あり。試験管ベビーが研究員のミスにより混血児として登録されたと思われる。尚、その場合彼は完全にDNAを改造している模様。実際には血縁者はいないものとなる。精神病はこの副作用ではないかと考えられる。彼の死後はその死体を米国の生物科学研究所に送り、更なる進化した人間を作り出すための研究材料とする−







文章は研究所の名前、場所、研究者名に続いて国家機密レベルに至る事まで書かれていた。







二人は今の現状も忘れてこの文面に釘付けになった。
「太公望・・・、遺伝子操作って」
「ああ、国際法で現在遺伝子操作による胎児の作成、及び出産は認められていない。その上試験管ベビー自体の存在も認められておらず仮に存在した場合でも彼らでの人体実験及びそれらと思われる行為は認められないものとされている」



遺伝子組換え児ということが本当なのだとすれば楊ゼンのあの容姿は納得いく。
現代人ではありえない青色の髪と紫色の瞳。楊ゼン自身気に入ってはいない。両親に愛されなかったのはそのせいなのだから。
しかし試験管ベビーを作成すること自体今現在では困難とされているのに更に遺伝子組換え児とは。現代の倫理学を無視しきっている。
そんな考えの中、太公望はある事に気付いた。
「この楊ゼンの死体を研究材料にするって事はもしかすると楊ゼンの死刑判決も関係あるんじゃあ・・・」
視線を文面から放さずに太乙に問い掛ける。すると数瞬の間を置いた後、太乙は言った。
「・・・有り得ないとも言い切れないね。このミスにより混血児として登録されたのなら早く抹殺しておくに限る。成る程、減刑が認められなかったわけだ。国が死刑判決をだしたがってたんだから」
「アメリカにそんなに尻尾を振るか、この国は」
太公望は画面を睨み付けて言った。
そんな太公望の肩を叩いて太乙は先を促す。
「ほら、それは後にして。とりあえずデータを消さなきゃ」
ああ、と軽く答えて太公望はデータを消すためにキーボードを弾く。
「あと・・・もう少し」
終わりが見えた。
あとはこのプログラムを書き換えるだけで終わる。自由を手にすることが出来る。




ミスは許されない。





後もう少し。







急に太公望の手が止まった。









画面に現れたのはセキリュティシステムの発動を示す文字。





パソコンがピーと電子音を鳴らす。






















「失敗した・・・・」




















彼との距離がまた開いた気がした。




















エラーの文字が目に映り電子音が響く中、二人は後を付けられないようにあらゆる技術を駆使してインターネット上から自分達を切り離すだけで精一杯だった。
なんとか犯罪者を免れた二人は生気の抜けた表情をしてただ電源を落とした何も移さない画面を見続けていた。




気付いたときには朝日が彼らを照らし出していた。











死刑執行日まで残り後六日。








 

 

香月紫蘭様から頂きましたv

気になる中編。緊張感漂う中編!
試験管ベイビーのうえ遺伝子組み替えまでされていたとは・・・
そのうえ両親に虐待なんて悲しすぎます。楊ぜん・・。
だからこそどれだけ師叔の存在が大事かわかります。
必死に楊ぜんを助けようとする師叔が格好いいv
太乙のなんだかんだいって二人の助けをするところがいいですね。
ハック中の場面はハラハラしっぱなしで。
失敗して・・・この後どうなるかかなり気になるところです!

二人は幸せになれるのでしょうか?
後編が楽しみですv