「どうしてあなたはいつもそうなんです!?」
「うるさいうるさい!全部お主がわるいのだ!!」
きみに恋して
「はぁ〜・・・・」なんの変わり映えもしない午後の執務室。
1人仕事をしていた太公望は、窓の外の天気の良さになんだかバカらしくなったらしく、随分前に筆を放り投げてしまっていた。
しかし溜息がでたのはきっと仕事の疲れというより、この一週間分の精神的疲労によるものだろう。
なんとなくぼんやり天井をみつめながらそう自分を分析する。
でもどんなにぼんやりしても一人きりのこの部屋では、だれも咎める者はいなかった。
一週間前は違ってたのに。
いつもはにこにこしながらそこにいるのに。
空席の向かい側に目をやって、やっぱり太公望は大きく溜息をついた。
「サボリ現場目撃ー」
「・・・・・武王」
扉を開けて・・・ではなく、姫発がにやにやしながら開けっ放しにされていた窓から滑り込んできた。
自分だってサボってるではないかとツっこんでやろうと太公望は思ったが、次の姫発のセリフに引っ込んでしまう。
「あれ?あの天才さまは?もしかしてサボリとか?」
「・・・・あんなやつのことなど知らん」
「ははぁーん・・・」
「な、何じゃ」
顎に手を当てて何もかも分かった風に、姫発は太公望を覗き込む。
こういうことには察しがよすぎるのだこの王は。
うぐっと言葉に詰まっている太公望にはお構いなしに、姫発はにやっと笑って空いている席に腰掛けた。
「早く仲直りしちまえばいいのに」
「わしらはべ、別に喧嘩などしておらん!」
「なんだやっぱり喧嘩してんのか」
「・・・・・!お主には関係ない」
「まぁまぁ・・・で?どっちが悪いんだ?」
いかにも興味津々と言った感じで聞いてくる姫発に太公望は殊更大きく息を吐いた。
記憶に色濃く残る一週間前の出来事を思い浮かべ、憮然としていってやる。
「楊ぜん」
呆れたようにがくっと肩を落とす姫発に太公望は無視を決め込んだ。
少しは自分の非も認めろとでも言いたいのだろう。
だけど今回ばかりは全部楊ぜんが悪いのだ!
その頃楊ぜんは、今まさに執務室で自分のことが話題になっているなんてことはつゆ知らず、桃を両手いっぱいに抱えて問題の執務室に向かっているところだった。
「師叔これで許してくれるかなぁ・・・」
もうかれこれ一週間まともに口も聞いてない恋人を思い、楊ぜんは自分自身を呪っていた。
喧嘩の原因をつくってしまったのは自分。
思わず大声で怒鳴ってしまった後の、びくっと怯えて瞳を潤ませたあの姿が忘れられない。
(でも師叔だって悪いんですからね)
そう思いつつもいつも折れてやるのは楊ぜんのほうだった。
太公望は絶対に自分から謝ったりはしない意地っ張りで、しかも今回は絶対に自分は悪くないと思っている。
子供っぽくて可愛い、と言うのは楊ぜんだけだろうが。
楊ぜんは廊下の角を曲がったところで一度両手の桃を抱え直す。
その拍子にころんっと落ちた桃を両手の桃を落とさないように慎重に拾い上げて、廊下を進みながら苦笑した。
思えばつまらない嫉妬だった。
「そりゃお前が悪いんじゃないのか?」
「何!?どうしてわしが悪いのだ!」
姫発は喧嘩の原因を一通り聞き、そして呆れて太公望を見やった。
憤慨して頬を紅潮させながら詰め寄ってくる小さな軍師は、大変可愛らしかった。
おいおい他の男の前でそんな面していいのかよ、と姫発は思ったが、そりゃぁ・・・と話を続ける。
「お前が桃好きなのはわかるけどよ、いいじゃねぇかひとつくらいあいつにやっても」
「あやつはあの日最後の桃をとったのだぞ!わしの最後の一個を!わしがせっかく楽しんで食べようと思ってたのに!」
「桃もってくるのっていつも楊ぜんじゃん。あいつにも食べる権利くらい・・・」
「最後の一個というのが問題なのだ。それに楊ぜんのものはわしのものだ」
「ジャイアンかよお前は・・・・・ってゆうか俺はなんでバカップルなお前らがこんなくだらんことで喧嘩してるのかがわかんねぇー・・・・」
姫発の言うとおり、喧嘩の原因はまったくくだらないものだった。
ただ単に楊ぜんが太公望の桃を食べてしまっただけ。
でもそれは、桃に告白までかました太公望にとって一大事であり許し難いことだったらしい。
気の毒な奴・・・と同情を込めて呟いた姫発の言葉に太公望は頬を膨らませた。
そのあまりの可愛い姿に、姫発はイタズラを思いついた子供のようににやっと笑った。
「でも仲直りしたいんだろ?」
「それは・・・・」
いくら桃が好きでも太公望だって反省するときは反省する。
桃がとられたときより、目を合わしてもらえない笑ってくれない抱き締めてくれないことのほうが何倍もショックだなんて、あの時は思ってもみなかったのだ。
一週間つきつづけた溜息も全部楊ぜんのためのものだった。
「でも楊ぜん、いつもより怒っておったし謝っても許して貰えぬかもしれぬ」
「俺がいい方法教えてやろうか?」
「いい方法?」
「そっ。ほら、まずは上目遣いだな。できるだけ潤んだやつ・・・んで次は胸の前で両手をこう組んで・・・」
太公望は言われるままそのポーズをとらされる。
教会で祈るような格好に上目遣いが加わったような姿といったところだろうか。
確かにこの姿で「許して?」なんて言われて許さない男なんてどこにもいないだろう。
「この格好で謝ると上手くいくのか?」
「ああ絶対。あ、でもちょっとここの腕の角度が・・・」
「・・っあ!どこを触っておるのだ!」
姫発の手はするすると太公望の衣服の上を滑り、腕といわず脇腹のあたりまで撫でていた。
都合良くひとまとめにされていた両手は、暴れられないように頭の上で拘束され、身動き出来なくなっている。
キッと姫発を睨んでも太公望の潤んだ上目遣いでは効果がなく、余計このセクハラに拍車を掛けてしまった。
「や・・だ!やめっ武王・・・」
「俺はただお前が緊張してるみたいだったから、身体をほぐしてやってるだけだぜ〜♪」
「だー!!離さぬかこのっ」
おしりを撫で回す手に必死に耐えながらなんとか逃れようと太公望は藻掻く。
そのうちついに手がスリットの中に入り込んできて、思わず大声で助けを求めた。
「やだ・・・!楊ぜん!!」
「はい師叔」
え?と思い、太公望は声がした扉のほうへぱっと振り向いた。
そこには両手いっぱいの桃を机の上に丁寧にのせ、三尖刀を片手ににこにこと微笑んでいる楊ぜんがいた。
もちろん本当に笑っているわけではなかったが。
来てくれたことは嬉しかったが、喧嘩している手前どういう態度をとったらいいか迷っていた太公望を、楊ぜんはぐいっと姫発から奪い返す。
「よ・・・」
「大丈夫ですか師叔?怖い目にあわせてごめんなさい、あなたを他の誰かに触らせてしまうなんて・・・・それもこれも武王!」
「はいっっっ!!」
コソコソと逃げようとしていた姫発の首根っこを楊ぜんがいとも簡単に捕まえる。
にこにこした微笑みは絶やさず、三尖刀を一応この国の王である人の頬にぴたぴたと脅すように押しあてて。
「何しようとしてたんですか?ねぇ?」
「え?えーっと・・・そのなんだ・・・その・・・」
「い・っ・た・い・な・に・を、僕の師叔にしようとしてたんですか?」
「わしを犯そうとした」
楊ぜんの腕の中に収まっていた太公望がぽそっと呟く。
間違ってはいないのだが、その誇大表現に姫発は固まり、楊ぜんは一層笑みを深くした。
「哮天犬、餌」
「ぎゃぁーーー!!!!」
哀れ姫発は、楊ぜんの忠実な宝貝に噛みつかれたまま連れ去られ、3日間は帰ってこなかったという。
「あの・・・師叔この間のことなんですが・・・」
気まずい雰囲気の中、ぴくっと太公望の肩が震えたのが楊ぜんにも伝わる。
そろそろと上向けられた不安げな瞳に安心させるように微笑んで、楊ぜんはもう一度華奢な身体を抱き締め直した。
「ごめんなさい。師叔の大好きな桃を横取りするようなことしてしまって」
「あの、楊ぜんっわし・・・」
「でもね師叔、僕は悔しかったんですよ。僕が隣にいるのに桃ばっかり楽しそうに食べて・・・・あなたはやっぱり僕より桃のほうが好きなんじゃないかって、思って」
「バカ楊ぜん」
「ええ、バカですよね」
苦笑する楊ぜんの頬を、太公望はむにっと力一杯ひっぱった。
「いひゃいれすよすーす」
「バカ者め・・・・お主が持ってきてくれた桃だから、だからわしは」
「桃を持ってくる僕が好きですか?それとも僕が持ってくる桃が好きですか?」
頬をひっぱっていた小さな手をやんわりと外し、優しく問いかける。
一週間分の優しさが篭もったような声音がひどく耳に心地よかった。
そんなこと決まっている。
この一週間、桃がそばになくても全然気にしていなかったなんていったら楊ぜんはなんと言うだろうか。
あんなに大好きな桃を。
今も机の上に大量に桃が山積みにされているのに、見ているのは楊ぜんだ。
「楊ぜん・・・・・」
「はい」
「楊ぜん・・・・わしも、ごめんなさい」
きゅうっと抱き付く小さな身体に楊ぜんは柔らかく微笑み、久々に、二人は桃の味じゃないキスをした。
「あ!そうじゃった」
「どうしました?」
他のメンバーが戻ってこないことをいいことに、二人は仕事をサボって桃を食べながらラブラブしていた。
楊ぜんが甲斐甲斐しく皮をむいてやり、一口大に切って太公望に食べさせてやる、それの繰り返し。
3つめの桃の皮を楊ぜんがむいていたとき、太公望がいきなり立ち上がった。
楊ぜんも何事かとつられて立ち上がる。
「そういえば今日は桃マンの特売日だったのだ!早く行って買って来ねば売り切れてしまう!」
わしとしたことが!とかなんとか言ってる太公望をポカンと見つめる楊ぜん。
「じゃ、楊ぜんそういうことで!」
「ちょっと待って下さい師叔!だったら僕もお供します」
「仕事はどうするのじゃ?」
「それは・・・」
確かに仕事も大事だが、楊ぜんにとってそんなことより今は恋人との甘い時間のほうが大事だった。
桃の次は桃マン!?
冗談じゃない、と楊ぜんは太公望を抱き締める。
「やっぱり僕より桃と名の付く食べ物のほうが大事なのですね!?」
「そ、そんなことないぞ!お主にはいつでも会えるけど、特売日は今日だけなのだ・・・お主にも食べさせてやりたいし」
「師叔・・・・」
最後の言葉にくらっときた楊ぜんに太公望は追い打ちをかける。
姫発直伝のあのおねだりポーズだ。
しかも小首を可愛らしくかしげるサービスつき。本人は意識していないようだったが。
「行くの・・・許してくれんかのう?」
これをやられて、許さない男なんていないのだ。
楊ぜんさえ例外ではなく無意識のうちに頷いていた。
気付いたときにはもう太公望は嬉しそうに城を出ていくところで、楊ぜんは思いっ切り溜息をついた。
むきかけの桃を脇に寄せ、筆を持ってから、今日何度目かわからない苦笑を浮かべる。
桃に敵わないというその前に、楊ぜんは太公望その人に敵わないのだった。
わかってなんていたけれど。
おわり
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