殷郊、殷洪両太子を封神し、太公望たちは殷へと向っていた。
だが、その途中急な雷雨に遭遇し、その足取りはストップしてしまう。
宿営地を作り、その日の夜はその場で明かされる事となった・・・。







 鎖された未来









太公望はただ一人、誰一人と護衛につけず歩きつづけた。
一晩続いた雨は、まだ上がっておらず・・・、太公望に降り注ぐ。
だが、そんな事も気にしない様子で、ただ一人宿営地から足早に逃げるように歩きだし・・・、そしてついには駆け出して行く。
一時間近く走っただろうか、完全に息は上がってしまいまともに息がすえない。
そして宿営地も影も形もなくなっており、周りにはただ荒野が広がっていた。
太公望は雨が降り注ぐ空を見上げる。
うっすらと明るくなった周りのせいか、雨の雫が見えるようになっている。
それをまるで浴びるかのように、瞳を閉じ体に浸透させて行く。
冷たいとは感じない・・・、むしろ気持ちが良かった。





時々、太公望は仲間や大切な者の居る場所から、違うどこか知らない場所に行きたくなる。
別にそこに強い思いがあるわけでもないが、心のどこかが名も知らぬ場所で一からまた歩き出すことを、望んでいるからただそれに従うだけ・・・、太公望はそう思い疑いはしない。
ただ、この計画が終わるまでは、自分の体を切り離してでも、この場に留まらなければならないということは、百も承知であるが・・・・。











「風邪をひきますよ。」



太公望のすぐ後から、雨に交じった聞きなれた声がする。
太公望は微笑みの形をとり、振り向きもせず応える。
「そんなに軟ではないよ。」
だが、声の主はそれを聞き入れようとせず、しかし・・・、と呟く。
太公望を心配する優しい青年はから、途惑いの声が洩れる。
青年から見える、その小さな背中は想像もつかないほどの重りに背負っている。
青年は一瞬言葉を失いかけ・・・、そして、太公望の傷ついた左手を自分の手で包みこむ。
「油断していたら、この傷から発熱するかもしれないのですよ・・・・・。」
青年のその手に触れる感触は、痛々しい傷跡を隠す白い布の柔らかなもの。
太公望はすこし少年の顔を盗み見る。
自分と同じように雨に濡れたその顔は、心が痛むほど切なかった・・・・・。
太公望は振り向き、すこし苦しそうに笑いかける。
「楊ゼン・・・、それぐらいたいした事ではないよ・・・・・。」
「それぐらいって!!」
楊ゼンと呼ばれた青年は、少し大声を張り上げる。
苦笑した笑顔を見せる太公望と、切なそうに目を細める楊ゼンの瞳が交じあう。
二人の耳に雨の音だけが、響く・・・・。






だが、その雨音しか聞こえない空間を突き破るかのように、太公望はゆっくり口を開く。
「ああ・・・、わしが自分の左腕を失うくらいの痛み・・・・・。
戦いのなかで親を、兄弟を、子を、家族を失い行く者の心の痛みに比べれば、それぐらい軽いものだ。
わしの腕一本で何人もの人が助かるなら、安いものではないか・・・・。」
寒さで震える自分自身の左腕を抱き寄せながら、太公望は言いきる。
全てのものを映し出す、その瞳を楊ゼンから地に向け。
先ほどと同様、口元は微笑みの形をとったままで・・・。
「師叔・・・・・。」
楊ゼンは太公望の右手を掴みそのまま、ぐっと引き寄せる。
太公望は躓きそうになりながら、楊ゼンの腕の中にすっぽりと収まるかたちとなり・・・、慌てたようにその名を呼ぶ。
「よ・・・、楊ゼン?」






「・・・・・・・くださいよ。」
小さな声で楊ゼンの呟いた言葉が、太公望の耳に微かに届く。
だが、それは雨の音と交じり聞き取れず太公望は一度聞き返す、なんと言った・・・、と。
楊ゼンは太公望の背中に腕を廻し、二度と離ぬように強く抱きしめもう一度声に出す。
「一人で背負いこまないでくださいよ・・・・。
貴方の言葉を聞いていると、一人で背負いこんでいるように思える。
貴方の周りには僕たちがいるんですよ・・・、貴方のその重みを少しで良い、周りのものに預けてください。
今のままじゃ太公望師叔、貴方はいつか僕たちの僕の前から消えてしまいそうなんです。」
消え去りそうに呟く楊ゼンの声。
太公望からは顔は見えない・・・、だが、きっと泣きたくなるくらい切ない顔だろう、そう思う。
太公望は楊ゼンの背中に廻していた右腕を解き、そっと楊ゼンを自分から突き飛ばす。
いつの間にか緩んでいた楊ゼンの腕から、太公望は静かに離れ、そしてまた微笑む。
雨が強さをまし・・・、濡れた太公望の瞳は潤んでいて泣いているようにも見えた・・・。
「大丈夫だよ、言ったであろうわしは軟ではない・・・、それぐらいで消えぬし、へこたれもせぬ・・・・・。
この計画が終るまでは、きっとお主たちの、お主の横に居るよ。」
また笑顔を作る太公望。
『計画が終るまで』、そんな期間限定の居場所指定をし・・・・。
だが、その言葉が心のどこかで楊ゼンを不安にさせる・・・、そう気付いていながら。






「だからですよ、師叔。
この計画終了後までは緊張の糸が張りつづけ、貴方はきっとどこにも行かずに、僕の傍にいてくれるでしょう、でも計画終了後その緊張の糸は解け、貴方がどこかに行ってしまいそうで怖いんです。」
楊ゼンの温かな手が、太公望の冷えきった頬に触れる。
冷たくて・・・、太公望はその温かさが心地良く感じる。
「・・・・・、わしも怖いよ。
お主と居れば安心するし、何より心強い、だが・・・、わしはそれがわかっていてもきっと誰も居らぬところへ行こうとするだろう。
だから、怖い・・・・、わしの意志でありながらわしの意志はない、そんなわしがどこかへ連れていってしまいそうで・・・。」
そう言いながら太公望は、頬にある楊ゼンの手に触れる。
静かに瞳を閉じながら、その温もりに安心したように眠る赤子のように・・・・。
だが、次の瞬間その瞳はしっかりと楊ゼンに向けられる。
決意の炎・・・、そんなものがまるでその瞳の中で火がついたかのように。
「だから・・・、お願いだ楊ゼン。
もしわしがそんな行動を取ろうとしたら、どこかに閉じ込めてくれ。」
そう言い放つと、一度拒んだ楊ゼンの腕の中に吸い込まれるように腕を伸ばし収まってゆく。
耳に楊ゼンの心音を届けるかように、ピッタリとくっついて・・・。
「・・・・そんな・・・。」
驚愕し、楊ゼンがやっとの思いで声を出す。






だが、太公望はそんな声を聞こえなかったかのように、次の言葉を紡ぐ。
「お願いだ。
わしからの最初で最後の願いだ・・・・。」
今まで願いや我侭など言ったことのない太公望の、願い。
楊ゼンにはその『最初で最後の願い』と言う、言葉が痛かった。
本当なら、そんな言葉は聞きたくない。
雨が起こした幻覚だ・・・とそう思えればどんなに楽だろう・・・・。
そう思いながら楊ゼンは、太公望の肩に手を乗せ離す。
お互いの顔が良く見えるいちまで・・・。
「それはできません。
僕にできる事は貴方を、どこかへ旅立とうとする貴方を抱き止めることぐらいです。」
そんなことで太公望が納得するなど、楊ゼンは思っていなかった。
きっと・・・、反論するだろう・・・、そう気付いていた。
「だが・・・、わしはそんなお主を突き飛ばしてでもどこかへ旅立とうとする。」
縋ろうような太公望の瞳。
楊ゼンは全て悟っていたかのように、優しく微笑んで太公望を抱きしめる。
「ええ・・・、わかってますよ。
そうなったら僕は貴方に付いていくことにしますよ・・・・・。
貴方にいくら拒まれても、逃げられても、きっと貴方の傍を離れませんよ。」








「楊ゼン・・・・。」
太公望の声が先ほどの切迫した雰囲気から、落ちついた雰囲気に変わったように感じた。
「・・・・・ありがとう・・・・・・。」
小さく呟かれた太公望の言葉。
顔には笑みが浮かんでいた・・・、切ない表情ではなく、嬉しそうな笑みが・・・・・。









心のどこかで離れることを望んだ太公望は、同時に傍にいることも望んで・・・・。





当たり前に幸せになることなど、今の自分たちには不可能だ・・・、そう思いつづけ・・・。





だから、心がすべての物を削除し一から始めることを望んだ。





自分が・・・、楊ゼンと二人で幸せになれる未来を求めて・・・・、望んで・・・・。





だが鎖された未来は、予想もつかないほど素晴らしい物が待っているかもしれない・・・・・・。









 

 

 

 

 

 

風馬優様から頂きました!
「Boyhood」様のキリバンを踏んだときにリクさせて頂いた小説です。
はぁ〜。なんとも素敵なシリアス小説です。私には到底書けません・・・・・。
やっぱり何があっても楊ぜんは師叔の傍にいたいのですね〜v
ついていきます。なんて・・・。ステキ☆
コレは楊太の基本ですよ(?)










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