by KUROMATSU
楊ゼンが、大学生だと知ったのはそれから間もなくの朝の事だ。
何時も昼近くまで眠っている楊ゼンを、彼より少し早めに起きる太公望が
大抵は起こしに行くのだ。
ほっておくとそのままずっと眠ってそうだから。
太公望はリビングに毛布を沢山敷き詰めて、そこで眠っている。
楊ゼンは別にソファをつかっても、なんなら自分のベッドを使っても良いといったのだが、
太公望はどうやら毛布が気に入ってしまったらしい。
なんせこの家は部屋はたったひとつ。
結構な広さを持つ部屋だけだった。其処が楊ゼンの寝室。
殆ど何も無い相変らずコンクリの壁、床の其処に、真っ白いシーツでおめかしした大きなベッドがあるだけだった。
朝、太公望はすやすやと毛布にくるまり、心地よさそうに眠っている。
窓には遮光カーテンがかかっており、薄暗い空間の中一定のリズムを刻みながら。
不意に気配を感じて太公望はゆっくりと瞼を開ける。
身体をすっぽりつつんでいる毛布が目に入り、
顔を動かすと、キッチンが見えた。
それと、何時も眠っているはずの楊ゼンの姿。
「起こしちゃいましたか?」
楊ゼンは太公望に気づくと、苦笑しながら歩み寄る。
何時も着ているパジャマなんかではなく、きちっとした服装だ。
「なんだ、おぬしデートでも行くのか?」
寝起きがそこそこよい太公望は、完全に覚醒し、
上半身をゆっくりと起こし楊ゼンを見た。
おはよう。と挨拶をする。
「そんなんじゃないですよ。第一にいませんから」
太公望は其の言葉に別段驚きはしなかった。
楊ゼンは結構というかかなり顔も整っており、はっきりいって男のクセに綺麗だ。
相当モテるのであろうな。と太公望は既に予想をしていたのだ。
だが、此処2、3日こうして一緒に過ごしてわかったのだが、
友人からはともかく、彼女からも電話など一切無い。
訪問も、誰も居なかったのだ。
楊ゼンも、何処に出かける気配すらなく、一日中太公望とゴロゴロしたり、
彼が好きだというジャズをかけてまどろんでいたり、そのくらいしかしていない。
普通の人間なら、そんなことは無いだろう。あったとしても出かけたりはするのが普通だ。
だがやはり、太公望は別段驚きはしなかったのだ。
「ふーん。じゃあどっかに出かけるのかのう」
寧ろその方が驚いたくらいで。
「ええ、僕これでも大学に通ってるのですよ」
見えません?と苦笑したのだった。
ああ、それでか。
太公望は納得する。それと同時に何処か安心した気持ち。
「見えないのう。今まで家でゴロゴロしてておぬし何もしてないではないか」
からかうようにして太公望は笑う。
今まで―といってもほんのまだ数日しか一緒にいないのだが―一度だって楊ゼンはそんなこと口にしなかった。
「そうですよね。驚いたでしょう?」
クスクスと楊ゼンも笑う。
太公望もクスクスとつられて笑った。
楊ゼンと太公望は朝食にトーストを食べる。
珈琲を飲んで一服したら、楊ゼンは大学へとでかけてゆく。
夕方には戻るそうだ。
こんなにも、時間がゆっくり過ぎて行くなんて、太公望は思ったことが無かった。
いや、つい数日前まで同じ事を思っていたのかもしれない。
「暇だのう」
今まで一度だって暇なんて思ったことは無くて、
いつだってゴロゴロしたりするのに有効に使っていたのだ。
相変らず広い家で一人、
楊ゼンが好きだといったジャズを流しながら、夕方まで遠く灰色の空を眺めながら
太公望は冷め切った珈琲を枕もとに、うとうとと時間をすごして行く。
ガチャリという独特の鍵が開くおとで太公望は
どろどろとした泥濘から意識をひっぱりだす。
「おかえり」
毛布の中から、靴を脱いで歩いてくる楊ゼンを其の目に捕らえながら太公望は云う。
「只今帰りました」
楊ゼンは云うと、手にもっていたビニル袋を冷蔵庫の前におき、
冷蔵庫を開ける。
中には、あまりなにもはいっては居なかった。
「食べ物買ってきたのですよ。流石に食べないとね」
後姿なので、良くはわからないが、苦笑していたに違いない。
せっせと冷蔵庫に全てをしまい終わった楊ゼンは、
中から何かを取り出し、振り返った。
「いっぱいやります?」
手にはビール缶が2つ。
「まだ夕方だぞ」
太公望はそう云いながらも、手を伸ばし、ビールを受け取る。
「関係ないでしょ」
「まったくだ」
プシュっと新鮮なおとが部屋に響き渡り、
お互いの缶をカチンとあわせた。
あまり大量には飲まないが、1日1缶は飲む。
「そうだ」
楊ゼンは1缶のみ終えると、缶をソファに起き、
朝出て行ったときには持っていなかったカバンを自分の下へ持ってくる。
太公望は飲みながら其の様子を眺めていた。
カバンの中からごっそりと紙の束が現れる。
「僕、今日中に課題終わらせないといけないので、
師叔今日はベッドで眠ってください」
ソファの後ろから、ちょっとしたテーブルを取り出すと、其の上に課題を楊ゼンは置く。
楊ゼンの眠っている部屋には、本当にベッド一つしかなく、
あるのはクローゼットの扉だけ。
リビングでしか課題はできないのだった。
「ふーん」
太公望は曖昧に返事をすると、話題を早速かえる。
「それよりも腹が減らぬか?」
太公望はといえば、朝にトーストを1枚食べたっきりで、
楊ゼンはどうかは、知らないが、兎に角お腹が減ってきたのである。
「そうですよね、じゃあちょっと待っててください」
楊ゼンは笑うと、早速キッチンへと足を運んだ。
どうやら何か作ってくれるらしい。
太公望はその背中を見ながら、先ほど楊ゼンが置いた、課題に興味本位で手を伸ばしたのだった。
ペラペラとめくってみると、難しそうな無いようだと一目でわかる。
あやつ、そんなに頭が良かったのか・・・
思うが、あまり驚きはしない。
なんだか元から解っていたような気がするから。
暫くすると良い香りが鼻をくすぐる。
見ると楊ゼンが、台所の傍にあるあまり大きくは無いテーブルに
料理を乗っけているところだった。
イスは丁度2つある。
「師叔、なにやってるんですか?」
フと太公望の様子に気づくと、楊ゼンは不思議そうな顔をして太公望へと歩み寄る。
「ああ、ちょっとな」
見れば太公望は先程楊ゼンが持ってきた課題と向き合い、何処から出したのか、
シャーペンを握り締めていた。
「太公望師叔!?」
驚いて楊ゼンが課題を覗き込む。
大事な課題なのだ。どうにかされては困るというもの。
「すまぬ・・・・・」
焦っている楊ゼンを見て、太公望は小さく謝った。
やはり、勝手にこんなことをして、マズかったのだろう。
ペラペラと課題に目を通す楊ゼンは、驚いたように目を見開いた。
「これって・・・・」
紙の束をテーブルの上に戻し、太公望を驚いた表情で見つめた。
「間違えてはおらぬだろう?」
さらりと太公望は云う。
楊ゼンはコクリと頷いた。
「驚きましたよ。全問正解だなんて」
カチャカチャと夕飯を食べながら楊ゼンは云う。
「そうか?」
太公望は涼しい顔をして、だが少し得意げな表情で夕飯をひたすら食べていた。
楊ゼンの作った料理は美味しい。
「それに、わしだってなにかせねばのう」
目の前の楊ゼンを見据えて太公望は、料理を口に運ぶのをやめた。
「おぬしの其の綺麗な髪」
相変らず原色にまみれたこの部屋で、綺麗な色を保っている。
「あなたのですよ」
楊ゼンは気づいてそう付け加える。
始めてあったあの日、楊ゼンは太公望にあげたのだった。
「もらってばかりでは、流石に悪いであろう?」
そう云うと、太公望は食べるのを再開した。
「そうですね」
意図を読み取った楊ゼンも、ひとつ笑うと胃を満たす為に食べ始める。
だってわしは何も持っていないから。