by KUROMATSU
どれくらい、横になっていたとか、眠っていたとか、いつのまにかCDは終わっていたとか、
そんなことは、全く関係なかった。
気になるのは、雨がしきりに降っている事くらいで。
ムクリと起き上がると、其の辺に転がっていたビール缶に手が当たった。
「・・・ん・・・・・」
ぼんやりとした意識の中、大して気に止める様子も無く、楊ゼンは立ち上がる。
一体自分が眠っていたのか、はたまた、まどろんでいただけなのか、全く見当はつかないが。
なんだかすっきりとした、自分のこの色に相応しいような、そんな心境。
未だぬかるみに浸かっている頭をなんとかひっぱりだそうと、
冷蔵庫をのぞき見る。
昨日買い物をしたせいもあって、なかなか充実している。
結局飲み物らしい飲み物は、ビールしか見つからなくて、
後は、段ボールの中にあるお茶だけだった。
仕方なしに、ビールを取り出し、お茶のペットボトルを冷蔵庫にしまう。
ほっておけば、コレも冷たくなるだろう。
プシュっというこの部屋には些か不釣合いな新鮮な音と共に、泡が吹き出る。
こぼすまいとして、楊ゼンは早速ビールを流し込んだ。
半分ほど飲んで、再びゴロリと横になった。
さらさらと、長い髪がコンクリに流れるように広がって行く。
追いかけるようにして、意識も流れて行く。
外では激しく雷がなっているし、雨もすごい勢いで降り注ぐ。
もっと、考えて降れないのかな。
楊ゼンはぼんやりと考えた。
そんなこと考えたって、降りしきる雨は楊ゼンのことなど考えているわけも無く、
ただただ、重すぎる水分を落としているだけなのだ。
もし、この雨が,地上を潤す為に降っているならば。
一体僕には何が与えられるのだろう。
考えられるただ一つの答えは、今は此処に無い。
もう一度溜息をつくと、ムクリと起き上がる。
そろそろ
堅く閉ざされた玄関の扉を眺める。
僕ならば、そろそろ・・・
何の確かな根拠なんてありはしない。あるわけがない。
ガチャリ。
控えめに扉が開かれる。
楊ゼンは溜息をついた。
「忘れ物ですよ」
楊ゼンは、先程脱衣所で拾った財布を投げる。
太公望は、びしょぬれの手で、サイフを受け取った。
「忘れてなど、おらぬよ」
サイフを受け取った太公望は、扉を閉め、びしょ濡れの靴を脱ぎ捨てて、冷たいコンクリの床に足を踏み入れた。
ポタリポタリと重力に従い、びしょ濡れの太公望から水分が落ちる。
灰色の無機質なコンクリは、益益深さを手に入れた。
「知ってますよ」
楊ゼンは、意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「意地悪だのう」
太公望もクスリと笑った。
滴れる雨水なんて、全く気にはしていない。
そうしているうちにも、太公望の足元には、小さな水溜りが出来上がって行く。
「あなたの方こそ、意地が悪い」
外は、相変らず雨が降りしきっているのに
先程まで耳障りだった雨音は、もう耳には届いていなくて、
目の前の人物が発する音だけを、聞き取っていた。
「ただいま」
太公望は苦笑して、座っている楊ゼンに云う。
一歩も、微塵も動かないで棒のようにつったったまま。
「おかえりなさい」
何度も、なんども言葉をつなぐ。
「おかえりなさい」
そういった楊ゼンの表情は、うつむいてしまって、
太公望には彼がどんな表情で言っているのかは解らない。
「おかえりなさい」
「なにを、泣いておるのだ」
弱弱しい楊ゼンの言葉に、太公望が問う。
「泣いてなど、いません」
「でも、泣きそうだ」
確かに面を上げた楊ゼンの顔には、涙も、水分も、微塵も感じられないが、
笑った顔は、痛いくらいに寂しそうで
「あなたが、帰ってきたから」
「帰ってくることは、解っていたし、絶対に帰ってくるという自信だってあったのに、
いざとなると、駄目なんです」
帰ってこないと・・・
楊ゼンはまっすぐに太公望を見上げる。
太公望はうっすらと笑みを浮かべているのに、滴れる雨水のせいで
彼の方こそ、泣いているのかと思った。
「なにを云って居るのだ?」
キョトンと太公望は目を丸くする。
「おぬしはわしに全てをくれておいて、わしはおぬしには なにもしていないではないか。」
「不条理であろう?」
目を細めて笑う。
「そいわれてみれば、そうですね」
楊ゼンもつられて笑った。
今日はとてもあの時と似ていて。
違うところといえば、太公望だけがずぶぬれだという事くらいで。
全身ずぶぬれになった太公望は、寒いのか、少し身震いをしている。
「ねえ師叔」
楊ゼンは立ち上がると、太公望の頬にそっと触れた。
こっちまで冷たくなりそうなほど、冷え切っていて、どれくらい雨に打たれていたのかが痛いほど解る。
楊ゼンが、口を開こうとしたが、太公望が其れを遮る。
「わしは・・・・・・」
何かを云おうとして、止まる。
「好き、じゃないんです」
楊ゼンが先程遮られた言葉を発した。
「愛している。も違う」
寒そうに、身震いしている太公望を、暖めるかのように、楊ゼンは太公望を抱きしめた。
じんわりと、洋服がぬれてゆくのがわかる。
「あなたなしでは、生きて行けない。じゃあやはり少し違うのです」
太公望は、冷たいかじかんだ手をそっと楊ゼンの背中に回す。
ぎゅうっと体温を奪うように
「わしはおぬしであって、おぬしじゃないし。おぬしはわしであって、わしじゃない」
呟くようにして、太公望が云う。
楊ゼンが、驚いたようにして、太公望の顔をみつめた。
自分の服に水分をとられたようで、少しだけ、乾いている。
「今日一日、わしは探したのだ」
ニコリと太公望は微笑んだ。
「愛してますよ。師叔」
楊ゼンも、自然と笑みをこぼした。
今のところ、僕らは言葉に出来なくて、愛してるなんて軽軽しい言葉しか知らないけど、
これで、我慢しよう。
「好きだぞ」
太公望が苦笑しながら言葉にした。
僕らはもうわかっているし、うまく言葉がみつからないだけで、
言葉が全てじゃないと、言い切れるような気がする
「師叔、冷え切っちゃってる」
唇すらも冷たくて、楊ゼンが困ったような表情を浮かべた。
「お風呂わいてますから、どうぞ」
そう云うと、太公望は浴室に足を運んで、楊ゼンは、太公望に洋服を貸してやる。
「やっぱりぶかぶかかもしれませんが、此処においておきますから」
ガラス越しに伺える太公望は、確かにコクリと頷いた。
END.