『きれいって言ってくれたから、嬉しかったの』
ちび猫すーすとご主人様。
いまだ状況が掴めず、楊ぜんは混乱したまま子猫(だったはず)を見つめていた。
子猫はといえば、きょとんと上を見上げて小首なんてかしげている。
が、やっといつもと自分の状態が違うと気づいて、にゃっ!と鳴いて驚いたようだ。
ふわふわの毛並みはミミとしっぽ以外になくて、かわりに黒いシャツを一枚身につけて。
小さくても人間とかわりない身体。
そしてなにより、今自分が話した人間の言葉に、驚いているようだった。
「・・・えーっと・・・」
やっと平静さを保てるようになり、楊ぜんは思い切って子猫に話し掛ける。
子猫は一瞬ビクッとし、そろそろと上を見上げた。
怯えられたかと思ったが、こちらの姿をみた途端子猫はとっても嬉しそうに笑ったのだ。
手を差し出してやればごろごろと擦り寄ってくる。
「君は…あの黒猫だよね。どうしてこんなマンガみたいなことに…」
「あのねっあのねっ、桃食べたの。そしたらぽわってなって、こうなったのっ」
桃…?
言われて、楊ぜんは床に転がっている桃を探る。
それは確かに小さく一口かじられていた。
しかしなぜこんな桃で猫がこんな風になるのか、心当たりは……
「あ。」
「ごしゅじんさま?」
「〜…ったく太乙先生、発明品を間違えて持ってきて…」
「?」
心当たりは数日前。
ゼミの親睦会だとか何とか言われ、先生+生徒数名にむりやり自分のマンションに押し掛けられたのだ。
多分この桃は、そのとき太乙から貰った差し入れ。
間違えて、というかあの人のことだから実験台にでもしようと思って故意に持ってきたのかもしれない。
「ごしゅじんさまっあのね」
くいくいっと小さな手で楊ぜんの指を引っ張る。
こんな桃をおいていった太乙にどう仕返ししてやろうかと考えていた楊ぜんは、無意識のうちに表情が険悪で。
ハッと気付いたときにはもう、子猫は泣き出しそうなほど翡翠の瞳を曇らせていた。
「望…もう猫じゃないし…こんな変な格好になっちゃったけど…いてもいい?」
とても不安そうに見上げてくる瞳。
こんなことになって一番驚いているのは、子猫のハズなのに。
指をきゅっと握って縮こまっている姿に微笑みながら、楊ぜんはそっとその頭を撫でてやる。
「当たり前だよ。君を連れてきたのは僕なんだし…いてほしいよ?」
「ほんとに!?」
「ホントに」
ぱぁっと顔を輝かせる子猫が可愛くて、ついついこちらも笑顔になってしまう。
ごろごろと喉を撫でてやれば、気持ちよさそうに微笑んで。
楊ぜんは、とりあえず子猫(だったハズ)を頭に乗せ、冷めてしまったミルクを温めにコンロへ向かった。
☆☆
「名前、望っていうんだね」
リビングで、楊ぜんは机に片方頬杖をつく格好で。
子猫…望はその机の上にぺたんと座っていた。
同じく机の近くにいる哮天犬に時折ビクビクしながら。
怖くないよ、と言ってみてもどうも慣れないらしい。まぁ、可愛いからいいのだけど。
「そうなの。望ってゆうのっ」
「前の飼い主がつけてくれたのかな…僕も望って呼んでいい?」
「うんっ!でもね、”望”はおじいちゃんが付けてくれたの」
「おじいちゃん?」
「いつも望にミルクくれたのっ」
話からすると、望がまだダンボールの中に捨てられていたときに、近所のおじいさんが面倒を見てくれていたらしい。
「前のごしゅじんさまはね、名前つけてくれなかったの」
「え?」
「子猫なんていらないって言われて、すぐ捨てられちゃった…」
思い出したのか、望は少し涙を滲ませている。
切なくて、楊ぜんが優しく撫でてやると、望は嬉しそうににこっと笑った。
「そういえば、どうして震えてたの?人が怖かった?」
机に臥せるような体勢になり、望の目線に合わせて問いかける。
綺麗な紫の瞳に近くで見つめられて、望は一瞬どきっとした。
見とれていたら楊ぜんに、ん?って言われてしまって。また小さな胸がとくんってする。
「…一人で怖かったの。人も怖かったの。黒猫はイヤっていうから…翠の目も嫌いだって…」
「望……」
望はぽふっと楊ぜんの頬に擦り寄って、みゃぁっと泣いた。
傍らで心配そうに見つめてくる哮天犬に微笑んで、楊ぜんは望を抱き上げる。
というか手のひらで優しく包み、目線の先まで持ってくる。
「ねぇ、望。僕は怖い?」
「ごしゅじんさまは怖くないの…」
「楊ぜんでいいよ」
「ようぜん?」
「そう、それが僕の名前だよ」
何度も何度も覚えるように、自分の名前を呟く望が可愛い。
こんなに可愛い黒猫なのに、イヤだという奴の気が知れない。
「あのねっ望ね」
まだ涙が残る頬を撫でながら、望に答えるように瞳で問いかける。
「翠の目が嫌いだったの。望だけ翠でへんだから…」
「そうかな?僕は好きだよ」
「……望、ようぜんとお話できるようになれてよかったの」
「どうして?」
カーテンの隙間から漏れる夕日が。
また空色をオレンジに染めて、望は眩しそうに目を細める。
楊ぜんと会ったときを思い出して、嬉しくて、思わず楊ぜんの胸に飛び付いた。
「わっ、危ないよ望!」
「大丈夫なのっ」
落ちないように、楊ぜんは望の小さな身体を支えてやる。
心地よい暖かさに包まれながら。
言いたかったことを伝える。
「翠の目、ようぜんがきれいって言ってくれたから、嬉しかったの」
嬉しかったって、伝えたかった。
望は満足そうにそう言って、気持ちの良い胸の中で瞳を閉じた。
程なくしてすーすーと小さな寝息が聞こえてくる。
「もぅ…」
苦笑を隠せない楊ぜんは、哮天犬に静かにするよう言って。
可愛い同居人を胸に抱いたまま、しばらくその寝息に耳をすませていた。
続いたり。
|