あんまりそわそわしないでね。
マイダーリン★★★
「え?いないんですか?」多少の気まずさを引きずりながら、次の日楊ぜんが執務室の扉を開けると太公望はいなかった。
ほっとして息をついた楊ぜんだったが、どうしてこんなことでほっとしなきゃいけないんだっと思い直す。
けれどいないならいないで気になるのか楊ぜんは何気なく太公望の所在を尋ねてみた。
「さあ・・・・昨日の視察から姿を見ていませんし、こんなに仕事がたまってるというのにあのアホ軍師・・・」
「昨日から?」
「あなたのほうがご存知なのではないですか?視察のとき一緒でしたし太公望は・・」
「いえ、帰りは別々でしたので」
あの後、赤い顔にうろたえつつスタスタと一人で楊ぜんは城に帰ってきた。
てっきり太公望は後をついてきていたか、一人で帰ってきたものだと思っていたのに。
話はそこで打ち切り、楊ぜんは所定の席につき目の前の山と積まれた書簡の一つを広げる。
これは太公望のぶんの仕事だったが、当の本人がいない今誰かがかわりにやらなければならなかった。
その量には流石に閉口する。
自然とため息は漏れるものの、けれど楊ぜんの美しい顔はどこか晴れやかであった。
楊ぜんにとって何かと口うるさい人物がいないのだ。
久しぶりの開放感が心の中を満たしている。
昨日のことも会わなければ考えることもしなくていいし、いないとなればやはり・・・
「絶好のチャンス・・・・」
・・・やめときゃいいのに。
「あれ、仕事はもういいさ?楊ぜんさん」
兵の稽古に付き合っていた天化は、中庭を歩いてくる楊ぜんに気づいて呼び止めた。
広い中庭であるのに彼の容姿は非常によく目立ち見つけやすい。
こっそり歩いてきたつもりの楊ぜんだったが、その容姿のお陰で周りの女官たちにもしっかり気づかれ黄色い声があがっていた。
「仕事をしてた時の記憶がないからね。いくら僕が天才でも細かいところまでは処理できないから早く終わっちゃったんだよ」
「天才様でもそういうもんなんさねー。じゃ、これから暇さ?俺っちに稽古つけてほしいんだけど・・・」
「・・・悪いけど、ちょっと用があるから」
言いつつ、黄色い声がする周囲を視線で指しにっこりと微笑む。
天化は呆れたようにため息をつき、そして思い直したかのようにニヤッと悪戯っぽく笑って見せた。
「仙界一のプレーボーイって噂はホントだったんさね」
「・・・・誉め言葉として受け取っておこうかな」
「でも浮気はよくないさ楊ぜんさん」
「・・・・天化くん・・・」
またか・・・っと楊ぜんはがくっと肩を落とす。
自分にはそんな記憶はちっともないのに、誰もが太公望と自分は付き合っていると言い浮気はやめろと言うのだ。
声をかけた女官達にだって、そう言われてナンパに失敗していた。
仙界一のプレーボーイと名を馳せた天才道士が最近ナンパに失敗するのは、太公望が暴れるからだけでなく周城のほとんど全員が太公望の味方だからであるに違いない。
怪我で記憶が後退した楊ぜんより、浮気をさせまいと頑張る健気な軍師に皆同情しているようだ。
そうしなければ後が怖いというのもあるようだが。
「でも邪魔はしないでくれるかな?」
「・・・・なんか楊ぜんさん今日機嫌悪いさ」
「そう?」
そんなつもりはないけど、とにっこり笑った楊ぜんに天化はふーんと意味ありげに笑う。
少し気になったがまあいいか、ともう一度笑ってみせた。
いい気分だよ。だってあの人がいないんだからね。
楊ぜんは天化と別れた後、言ったとおり周りで騒いでいた女官に声をかけにいった。
何と言われようと他人の言葉に従ったりはしないし、プレーボーイというあってもなくてもいいようなプライドもあるようで。
なんといっても今ここには太公望がいないのだ。
「今日は天気がよくて暖かいですね」
「えっ、あ・・はい楊ぜん様・・っ」
女性なら誰でもおちるような極上の笑みを浮かべ、一番近くにいた女官の隣に並ぶ。
頬を染める女官は少女のようで華のように可愛らしいと思う。
が、その横顔がふっと昨日真っ赤になりながら好きだと言った顔と重なり、楊ぜんは慌てて首を振った。
「楊ぜん様?」
「・・いえ、なんでもありませんよ。それよりこれからお暇ですか?よければ・・・」
そこまで言って、ちらちらっと左右を伺う。いつもならばここで邪魔がはいるのだ。
というかなんで自分がこんなことを気にしなければならないんだと、楊ぜんがハッと気づいた時には隣の女官にクスクスと笑われていた。
「残念ですがお断りしますわ・・・軍師様に怒られてしまいますから」
「あなたもあの人の味方ですか?」
「ええ、健気で可愛い軍師様で私たち女官全員で応援してますのよ?」
そりゃナンパに失敗するはずだと楊ぜんはため息をついた。
だがここで諦めないのが仙界一のプレーボーイ。
プライドにかけても女性を次々と口説いて回ったが、しかしやはり結果は同じだった。
流石にバカバカしくなって楊ぜんが部屋に戻ったのは夕方頃で、そのまま寝台の上に倒れこんだ。
あの人が何だっていうんだ。
自分はなんとも思ってないし、そう言っているのに。
鬱陶しげに前に流れてきた長い髪を掻き揚げ、くしゃっとかきまわして目を閉じる。
と、扉の外でカタッと音がした。
「師叔・・・・?」
自然に出た名前に楊ぜんは驚く。
半分起こした身体をとっさにもう一度寝台に沈めて、妙な感覚に再び目を閉じた。
きっと風の音か何かに違いない。
太公望は今この城にいないのだ。
「どこ行ったんだろうあの人・・・」
まぁ明日になればいるだろうと、そしてなんで気にしなきゃいけないんだと、相変わらずぶつぶついいながら楊ぜんはそのまま眠りに落ちていった。
なんだろう、イライラする。
「え?今日もいないんですか?」
楊ぜんの予想に反し、今日もまた太公望の姿はなかった。
さすがの周公旦も姿を見せない軍師を心配しているようで、それに少なからず心が焦りの色に変わる。
「サボりとばかり思ってましたが・・・まさか敵にさらわれたとか・・」
「・・師叔も一応道士ですしもし敵と出くわしても大丈夫ですよ」
「そーそー。あいつのことだから今ごろどっかで昼寝でもしてんじゃねぇの?」
結局今日も軍師はサボり、という結論になり皆それぞれの仕事(武王は嫌々)に取り掛かりにいってしまった。
その中で楊ぜんだけは腑に落ちないという表情で。
山積みの仕事にも手がつかず、窓の外をぼんやり眺めるばかりだった。
そんな彼の様子にいち早く気づいた姫発はにやっと笑い、鬱陶しいからと楊ぜんに午後から休みを与えたのであった。
執務室を追い出されてしまってからも麗しの天才道士は、どこかぼんやりした様子で愛犬にもたれて中庭を眺めていた。
憂いを含んだその姿は非常に艶っぽく、周りの女官たちから熱い視線が送られるが今はそれにも気がついていない。
頭に浮かぶのは、いつも関わりたくないと思っていたけど可愛いと思ってしまった人のこと。
きっとあの時一緒に帰ってきていればこんな風に考えなくてもよかったのに。
過ぎたことを言っても仕方ないけれど、一緒に帰ってきたならきっと太公望は今ここにいた。
でもいないから・・・
「いないから・・・何なんだ・・」
端から見れば一目瞭然なのに、楊ぜんは気がついていない。
イライラする原因が不透明で答えがつかめず、気晴らしに散歩でもしようと立ち上がりかけた時後ろから呼び止められた。
「こんなところでなにやってるのよあんた」
「蝉玉くん・・・ちょっと散歩でもしようと思ってね」
「ふーん。あ、ねぇねぇ太公望しらない?ちょっと用があるんだけど」
「さあ・・・師叔なら一昨日からどこかへ行って帰ってきてないから・・・」
「え?」
蝉玉は少し驚いたように目をみはり、それから昨日の天化と同じように意味ありげにフフっと笑った。
流石に今度は気になって何、と視線だけで先を促す。
「もしかして、太公望も疲れちゃったんじゃない?」
「・・は?」
「だからーこんなつれないあんたなんかやめて、他の人のところに行っちゃったんじゃないかってこと!」
「・・・・」
「やっぱりねぇ。こんな女好き私だって嫌だもの・・・まぁ私はハニー一筋だけどv」
勝手に盛り上がり始めてしまった彼女に楊ぜんは溜息をついてストップをかける。
「そうなら、僕にとって好都合なんだけどね」
「うわーヤな男」
呆れた顔で蝉玉は楊ぜんを見るが、当の本人は言うほど嬉しそうにしてはいないようで。
確かに太公望が蝉玉の言うようであれば楊ぜんにとっても都合がいい。
が、どこか割り切れていない自分に楊ぜんは眉を寄せた。
「・・・なんかあんた昨日から不機嫌ね」
「そう?最近仕事が増えたせいじゃないかな」
「あら、でも案外太公望がいないからっだったりして・・・?」
って、あら?
と蝉玉は、いきなり固まってしまった楊ぜんの目の前で手を振る。けれど一向に気がつく様子がないようで。
記憶がなくても愛の力というものは強いのか、はたまた太公望のがんばりのおかげか。
蝉玉は固まる天才に可笑しそうに笑い、結局くっついちゃうのねーと呆れたように少し笑った。
「太公望にかまってもらえないから拗ねてたんでしょ?」
「・・・・・・・うるさいよ」
頬を赤く染めて睨んでくる顔はとても仙界一の色男といわれたものとは思えない。
大笑いする蝉玉の声はお空の上にまで届きそうに響いていた。
一方その頃話題の軍師様は。
「あっ・・や、やめるのだ太乙・・っ」
「待ったはなしだよ・・ほら」
「やっ・・!そんないっぱい・・待っ・・」
「今は楊ぜん君のこと忘れて、集中しないと」
「そうだが・・・あ・・!あぁ・・!」
楊ぜんたちは簡単なことに気がついていなかった。
太公望と一緒に彼の霊獣もいなくなっていたことに。
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